HTML5 Webook
11/52

10震災で決断した事業の転換「資材がすべて流れてっちゃったの。この時決心したね。」東日本大震災を契機に畠山家は本格的にホタテ養殖へと舵を切った。「三陸の養殖でできるものってカキかホタテかワカメの3つぐらい。カキは震災のあとうちの漁場の衛生環境が悪化して先行きが見えなかった。ワカメは自分の漁場でいいものがつくれる自信がなかったし、カキに比べて単価が上がりにくい。でもホタテは年間商材で一年中仕事があるし、技術も少しはある。だから、判断も早かったんだよね。『俺らがんばるから、資材、頼むよ』ってアサヤさんに声をかけたんだ。おかげで、仲間たちとやるって決めた時には、すぐに資材を提供してもらえた。あれがなかったら、一気に復興するのは難しかったと思う。」畠山さんともう15年近い付き合いになる営業の菊田は、こう振り返る。「あの時は、もうメーカーがパンク状態。でも、こちらとしてはお客さんのところに早く資材を届けたい。だから毎日メーカーに連絡して、資材が届くまでの間は会社にあるものを配給する、の繰り返し。朝も夜も関係なかったです。でもね、畠山さんをはじめ、みんなうちを信頼して発注してくれてる。恩義に応えるような気持ちで毎日、車を走らせてましたね。」漁業家の願いを実現するアサヤのアイデアと技術「北海道からホタテの種を買い付けて育てるのが主流なんだけど、値段が高くて、買い付けが難しくなってきてる。今挑戦しているのが種からつくって育てていく方法。養殖は、種を制するものが世の中を制するから。うちも種からつくることにしたんだ。」しかし、新たな挑戦に問題はつきもの。「イチから始めるとなると、人手不足がね。けど、ホタテなら全部自分たちで賄えるんじゃないかと思ってるんだ。今はその人手不足を解消するアイデアを菊田さんと一緒に話し合ってるところなの。」キーワードは機械化と省力化だ。「本格的に始めたのは、震災後かな。昔ながらのやり方では、もう時間が足りない。菊田さんからの提案は、すべて採用ぐらいの勢いで進めてる。特に今は人手がなくても、ホタテの養殖ができるような機械が出ちゃってね。ちょうどアサヤさんと一緒に三陸でも使えるような仕様に変えていってるところなんだ。『こうしたいんだよね』って言ったら、アイデアとモノを提供してくれる。特に菊田さんはアイデアをカタチにするのが得意だからさ。自分でもアイデアが次々浮かんで、夢が広がるんだよね。」畠山さんの話はとまらない。「今はね、朝起きたらホタテを全部ロープにつながった状態にしてくれる機械がほしいんだよね。頭の中ではもうアイデアがあってさ。夜な夜な夢に出てくるぐらいなの。まぁ、アサヤさんにはまた無理難題を言ってるんだけど(笑)。とにかく実現したいんだよね。アサヤさん、頼んだよ。」こちらの作業場は、なんと畠山さんがイチから建てたもの。「上のトタン屋根はアサヤさんから買ったの。ほんと何でも扱ってるよね(笑)。」畠山 哲有限会社水山養殖場 専務取締役。気仙沼市唐桑町舞根地区でカキ・ホタテの養殖に従事する。菊田 悟気仙沼本社 営業2部 課長。平成元年アサヤ入社。養殖部門として、20年近くに渡り唐桑地区を担当してきた。訪問中に「この機械ちょっとみてくれない?」と声がかかることもしばしば。ちょっとしたものなら営業担当が直してしまいます。

元のページ  ../index.html#11

このブックを見る