35創業当時、沿岸で漁をする人々は編んだ麻糸に針を付けた簡単な釣り具を使って釣漁を行なっていたといわれている。それが唯一の漁具だったのだ。漁家の女性が麻布を使って釣糸を編んでいたという。また、釣針も太い鉄棒を鍛冶屋に持っていき、一日がかりでやっと数本の釣針ができる、貴重かつ高価なものだった。初代廣野太兵衛は当時、岩手県一ノ関や栃木から良質の麻を仕入れ商売にした。気仙沼地方に一軒しかない漁具屋として、大いに繁盛した。気仙沼初の漁具屋誕生1850年創業江戸時代から続く漁具屋です。三陸には農地にできる平らな土地があまりなかった。人々は、生きるために海を選ぶ。縄文時代には、みな魚類貝類を採って生活をしていたそうだ。こうして世界屈指の魚の宝庫、「三陸漁場」の歴史は始まった。漁に欠かせない漁具も漁業の発展とともに進化をとげていく。海と切っても切れない深い縁で結ばれた三陸の地で、江戸時代末期の嘉永3年(1850年)に産声をあげたのが、漁具商「廣野屋(現アサヤ株式会社)」である。時代江戸1603年1868年〜( )18501875
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