43気仙沼は、マグロなどの遠洋漁業で発展した町。私たちもその一端を担ってきました。200海里の問題など国際的な理由で、マグロ漁業が衰退。平成11年、私は6代目社長に就任。これまでの経営を180度変えることにしました。先代までは、店舗も人も増やす拡大路線。情況が激変する中、同じことをしていては生き残れない。遠洋漁業だけではなく、近海や沿岸地域で操業できる漁業も相手に養殖や定置網にもシフト。組織もシェイプアップしました。さまざまな変化にチャレンジしたのですが、ひとつだけ変えなかったことがある。アサヤの創業理念です。1850年、創業者廣野太兵衛が「人々の役に立つ仕事をする」という志で事業を起こしました。この理念は何があっても守り抜く。震災が私たちを襲った。ここでこの会社をつぶすわけにはいかないんだ。私は創業者になったつもりで、人々の役に立つ会社であろうと固く誓いました。どれだけ苦境にたたされても自分たちは人々の役に立つ仕事をするんだ。社員も再認識していたはずです。驚くほど、会社は一丸となった。みんな夢中で立ち向かっていきました。目の前で懸命に海に向き合う漁師がいる。朝早く、冬は寒く、夏は暑い。漁師はきつい仕事です。そんな漁師の姿に日頃から触れ、自分たちがこの人たちを助けなくちゃいけない。その役に立ちたい。自分たちの存在理由はそこにある。そんな気持ちが社員のなかに強くあった。だから、乗り切れたんだと思います。これまでは人手をかけてやっていたことも、今は漁師の数が減ってしまい、少ない人手で出来る方法を考えないといけなくなりました。今後、漁業も機械化や省力化が進んで大きく変化していくでしょう。そのなかで私たちには貢献できる可能性がある。例えば、定置網への監視カメラの設置。網の中の状況を陸地からでも見られるようになれば、漁師の勘に頼らずとも、魚が入っているときだけ網起こしに行けばよくなります。いま力を入れているのが定置網部門の強化。大船渡にある網の仕立て工場が老朽化してきていたので、平成28年に新しい工場を建設。定置網漁業は奥が深く、覚えるのに10年はかかる、と言われています。若い優秀な社員を積極的に採用して、定置の勉強をさせていきます。いずれは定置網を学ぶための研修所をつくりたい。以前は漁師から教わりましたが、今度はこちらから漁師に教えられる研修所を。漁師とより密接な関係を築くことができる。今以上に役に立つ仕事ができる。できれば、私の代で実現させたいと思います。今は、経営も順調です。後継者である息子も戻ってきました。彼には彼なりの経営方針があると思います。事業のあり方も変化していくことでしょう。それでも、アサヤの創業理念は、昔も今も、そしてこれからも不変です。profile代表取締役社長。平成11年アサヤ株式会社の6代目社長に就任。初代から続く「人様の役に立つ仕事をする」という創業理念を守り続けていくために尽力してきた。廣野 浩海に立ち向かう漁師を支える。それは今も昔も変わらぬアサヤの存在理由です。代表取締役社長Hiroshi Hirono
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